女性の「子どもがほしい」

何気なく見ていたDVDで、こんな発言があった。
「自分に子どもが生まれたら、こんな服を着せてあげたいね」
20代前半の女性の言葉だ。特別に不自然な発言ではない。
ただ僕は、得体の知れない感覚、気味の悪さ、下手すれば吐き気さえ感じた。


これはどういう意味をもっているのだろうか?
どうも「出産」を想像すると気持ち悪くなってしまう性質らしい。
「出産」をイメージさせるような言葉でも、効果がある。
例えば、「妊娠」「結婚」「セックス」など。
以前からこうした言葉はできるだけ聞かないようにしてきた。
「もし好きなアイドルが・・・」といった想像をしたくないからだ。
年を経るにつれ、身近な人が結婚し、出産し、円満な家庭を築いていく。
その過程に、今度は僕自身が少しでも入り込もうとすると拒絶反応を起こしてしまう。
はたして精神的に病んでいるのだろうか?


そういえば、
これは母から聞いた話だが、僕は「あと少しで死ぬ状態」で生まれたらしい。
当たり前かもしれないが、そんな実感は全く残っていない。
ただ、この「死にかけた体験」が記憶情報として残存していて、
それが「出産」というイメージによって甦るのではないか。
とすれば、僕が抱く「出産」への恐怖、畏怖、嫌悪といった感情は、
そのまま「死」のイメージと結びついていることになる。


考えすぎか・・・。


れいなだって、いつかは結婚して、子どもを授かるだろう。
その頃、僕は何歳だろう。
好きな人はいるだろうか?
結婚しているだろうか?
子どもはいるだろうか?
はたしてもう生きていないだろうか?
いずれにしろ、哀しみしか生まれてこない。
頑張って、れいなの幸せを望んでいきたいけれど、
とても耐えられないだろう。
結局、あの頃から何も変わっていないのだ。
どんどん頑固になっていくだけで。
およそ内面的な部分で変化は起きていなかった。
ただ年を経てきただけ。
細胞が古くなっているだけ。
思考は鈍化を重ね、
肉体は老いという変化を甘受する。
だから・・・、
もう「変わる」のは止めよう。
どうせ「変われ」ない。
いっそ捨ててしまった方がマシだ。
これから。
「創ろう」
今の自分を消してしまえる力をもった、新たな人格を形成する。
沈黙。
孤独。
居るべき場所。
さよなら。
自分。
歴史。
ようこそ。
混沌。
永遠に。


うーん、随分とネガティブな「詩」ができたナァ(苦笑)。
今が幸せ。他になにが要る?
欲しい物があって、それが手に入らないから事件を起こす人。
恋人。お金。権力。過去の栄光。
人にとっては大切な物もあるかもしれないが。
ひとつ、僕が求める物を手にするためには、
おそらく「創造主」を壊さなくてはいけない。