今日は藤本美貴、そう、我らがミキティ美貴様の誕生日である。


ところで、
誕生日の組み合わせは、1年分しかない。つまり365個(閏年除く)。
1月1日〜12月31日までのうち、いくつの誕生日を覚えているだろう。


2月26日。226
誰にも話したことがないが、この数字の並びは気に入っている。
その理由は、他ならぬミキティの誕生日だからと思う。
妹の誕生日である、8月・・・えーっと・・・・・・忘れた。
というように、並びが気に入らないと覚えていないのだ。
(註:妹を気に入っていない、という理由ではない・・・と思う。)
・数字の配列が、226であること。
藤本美貴の誕生日であること。
・それ以外の日として記憶していないこと。
これが、阿呆な僕でも覚えていられる理由である。


ミキティと出逢った(逢った?)のは、彼女がメディアデビュした当初だと思う。
先行して松浦亜弥という人物がいたので、後続の藤本美貴に注目するのは当然だった。
ミキティもまた、最初はあまり興味がなくて、
「また新人さん?」という程度の感想しかもたなかった。
ただし、唄(デビュ曲)は良いと思った。あややの時もそうだった。
ある意味で、藤本美貴を「歌手」として認識していた時期といえる。
ミキティに対する視点が変わったのはいつだったか、
はっきり覚えていないが、少なくとも3枚目のシングルを発売する時には、
現在と同じ視点をもつようになっていたと思われる。
4枚目の時は、発売記念イベント(握手会)に参加した。
そこで「ミキティ大好きです」と話しかけたのだから、ほぼ間違いない。
何をきっかけにしてミキティに注目したのか。それは謎のままである。


ようやくというか、念願叶ってというか、待望の20歳を迎えた。
とはいえ、実を言うと、あまり実感が沸いてこない。
自分の誕生日ではないから、という理由ではなく、
以前からミキティを年齢相応に見ていなかったからだろう。
「えっ、まだ18歳なの?」と感じたことがあった。
昨日まで「19歳」だったことさえ信じられない。
それは、ミキティが大人っぽい容姿を備えていたり、
立ち振る舞いが大人だったからだろう。
一言でいえば、「大人の少女」、それが藤本美貴だった。
成人になったからといって、すぐに大人になれるわけではない。
それは僕自身が体験的に感じていることだし、
何をもって「大人」と定義するのか曖昧である。
それでも「少女」ではなくなった。
「さばさばしている」とか「きつい」といわれるミキティ
「実は元ヤン?」という噂さえあった。
だが、リアルのミキティ像なんて、実は関係ない。
人は「等身大の自分」を求めるが、より大切なのは「理想とする自分」だ。
たしかに「ありのままの姿」も必要だが、
たとえ今は飾り付けていても「目標とする姿」をイメージできているのなら、
「現在の姿」「リアルな姿」なんて気にする必要はないと思う。
もちろん、理想が実現されている(されつつある)可能性も考えられる。
ミキティは、これからもっと変わっていくだろう。
どんなベクトルへと向かうのか。非常に楽しみでしかたない。


人が「大人になる」ということの本当の意味は、
もしかしたら「変わり続けること」なのかもしれない。最近はそう思う。