さて、いまPV『ずっと 好きでいいですか』を観ている。
このPVのファーストトラックは、ひたすた亜弥のアップが続く。
本来なら、亜弥の表情が長く見られて嬉しいはずが、
代わり映えのないシーンばかりで、退屈に感じられる気持ちもある。
ただ、全く何も変化がないわけではない。
亜弥の視線ひとつひとつに、やはり「メッセージ」が込められている。


単純に「メッセージ」と述べているが、それは「気持ち」と同義である。
そして、「メッセージ」や「気持ち」を運ぶ媒体を「メディア」と呼ぶのだが、
ファーストトラック内で、亜弥の気持ちを運ぶ媒体は何だろうか?
そこで俺は、亜弥の“視線”に注目した。
すなわち、亜弥の視線が、亜弥の「メッセージ」を運ぶ「メディア」なのである。


まず一通りPVを観て、亜弥がどんな時に正面を向くか考察した。


「あなたのことが 好きです」
「ぼ〜っと あなたの事 夢に見てる」の「見てる」の部分。
「あなたとの」の後、「毎日 途切れぬように」の部分。
「永遠の片思い あなたのことが 好きです」
「新しい春を待つわ」の「春を待つわ」の部分。


前半だけでも、実に5回も見ている。
あるいは、たった5回と思うかもしれない。
この違いにも重要な意味があるのだが、それは別の話である。


全体的に言える事は、
「あなた」という歌詞の部分、あるいはその直後に正面を向いている。
これは、「あなた」=「カメラ」、
つまり「PVを観ているファン」の事だと考えて間違いない。
亜弥のイメージとしては、遠くにいる「ずっと好きな人」だろう。
言うまでもなく、これは「好きな人を想う気持ち」という、
紛れもない亜弥からの「メッセージ」である。
それを亜弥は視線の移動で表現しているのだ(この場合は、正面を観る動作によって)


さあ、これは誰もが気付く「メッセージ」だろう。
もっと細かい部分の、亜弥の視線を見てみよう。


一口に「視線」と言っても、その格好は様々だ。
「目を大きく開いたときの視線」
「目を細めたときの視線」
「目を逸らしたときの視線」
「目を閉じて視線が途切れたときの視線」
何を想い、何を感じているのか、それを想像するだけで、
「視線」のもつ意味は、華の色みたく様々に、綺麗に、変化する。


「この歌詞で、亜弥はどんな気持ちなのだろう」
「どうして亜弥はここで視線を逸らすのだろう」
「なぜ亜弥はこの部分で哀しそうな視線を出すのだろう」


視線に注目してみると、実に様々な「メッセージ」を受け取ることができる。
それは確かに想像の域を出るものではない。
だが、想像することこそ、亜弥からの「メッセージ」、
「視線」という「メディア(媒介物)」を受信する方法だと思う。


※非常に綺麗なので「視線」という言葉を使っている。
 実際は「目線」であったり、目の「表情」だったりするが、
 結局は同じ意味であることを断っておく。
 つまり「視線」とは、「亜弥が何処を見ているのか」を意味する。