SYURAをあやヲタと解している人は読まないで下さい。
(いや、むしろそんな人が読むべきかも?)




昨日、あややとWが出演するコンサートに参加しました。
ブログに書いたとおり、当初はあやや目的で行きました。
ハロコンあややの唄は聴いていますが、
もっと少人数で(ほとんどソロとして)、
彼女のコンサートに参加するのは、実に2年ぶり(忘却)。
その間にもあややは大きな成長を遂げたと思いますが、
今回のコンサートに参加したい理由の1つは、
そんな変化を肌で感じたかったからです。
それは、プラスの意味における期待でした。


開演後、最初はあややを見ていました。
Wの存在なんて最初からなかったものとして。
あややー!」と久しぶりに叫んだ時の興奮は伝えきれません。


それから、あややが退場して、Wが残りました。
この展開は予想済み(必然)だったので、ガッカリはしなかった。
どれくらいWの唄が続くのかまでは分からないので、
とりあえずは加護ちゃんにがっついておこうと思いました。
決してWが嫌いではなく、あくまであややと比較した際の反応なので、
あややがいなくてもコンサートに対して冷めることはありません。
それなりに加護ちゃんで楽しんだ後、再びあややの登場!


今度は、あややのソロ舞台です。
万全の状態でした。折しもWで熱狂した後なので、テンションも好調。


何だったのでしょうね。
率直な感想は、「昔と違うなぁ」でした。
少なくともSYURAの知っているあやヲタ(ファン)というのは、
もっと声を出して、もっと飛び跳ねる、積極的なファンだったと思います。
結局、あやヲタよりWヲタの方が多かっただけかもしれませんが、
それでなくてもSYURA自身が、違和感を感じてしまったのです。


つまりは、こうです。


以前、ブログに書きました。
「16歳には16歳の、19歳には19歳のあややがいる」みたいな内容を。
同じ曲でも、その時その時の想いによって表現は変化する、と。
セットリストには、確かに『THE 美学』や『奇跡の香りダンス』など、
激しい曲、踊れる曲は(後半に)含まれていました。
ところがSYURAの想いは、もっと以前に変化してしまったのです。


それは『草原の人』を聴いた時でした。
昨日のブログで書いたように、それは見事な唄でした。
聴き惚れてしまったSYURAが、どうしてあややにがっつけるでしょうか?
正直、もうあややに対する想いは、昔ほどありません。
所詮SYURAの知っているあややは、子どもの頃の、
今と比べるとまだ幼かった頃のあややです。あやヲタも同じだと思います。
最近のあややは、ずっと大人な、アーティストとして、
大きな成長を遂げたあややでした。


まだ言葉にするには早い気がして、昨日は書きませんでした。
もっとずっと後になって、今度はあややソロコンサートに参加して、
それから書くのが丁度良い感想だと思っています。


SYURAは、今の所、かつてのようにあややを応援できません。
あややー」と叫び、あややを全身で愛した、あの頃の表現はできません。
もちろんあややの事は好きですが、
今のあややに対して、かつての愛し方をする勇気は、ない。


もう、子どもじゃなくなっていたんですね。