俺は決して「おたく」である事実を捨てたわけじゃない。否定していない。
ただ、自らを「おたく」と称してしまう事に対して違和感を抱き始めたのだ。
言葉にするのは難しいゆえに、不充分になってしまうが、
たとえば祖母の葬式を体験してみて思ったことがある。


以前の俺は、葬式不要の精神をもっていた。
大学で卒論のテーマに葬式を扱ったが、研究を通じて、
いかに現代の葬式事情が混迷しているのか、と学んだ。
・・・いや、学んだつもりだった。
いずれにしろ、それ故に未だに葬式(特にお経を読むこと)には抵抗が残る。
ただ、それも死者の追悼、あるいは、遺族の気持ちを考えると無下にはできない。
何より、自分も関係者だった祖母の葬儀で問題を起こすことはできなかった。


それと分かっていても、気持ちがついていかない、行動が伴わないことがある、と
先日、ようやく分かった。
いや、分かったといってもまだ充分に分かってなどいないかもしれない。
むしろ言葉にできる程度に落ち着いた、というのが正解に近い。


俺は一生を通じて正しいことを言っているつもりはない。
その時はそれが最高なのだと思うことを言っている。やっている。
発言に対して責任をもつのが大人だと分かってはいるが、
他人の発言を鵜呑みにして、それに流されて、
結果が悪い方向になったときに、その他者を非難できるだろうか?
信じる者に落ち度はないとはいえ、
「騙されたっ」「いいかげんなことをいいやがって」と感じるのは、
結局、両者の間に信頼関係がなかった、足りなかっただけだと思う。
あるいは、それぞれの考え方に差が出てきただけ。
つまり、一方に言わせれば、「お前こそ変わってしまった」というわけだ。
自分こそが正しいと信じるなら、他人こそ「悪」だろうし、
他人と妥協できる生き方が何より素晴らしいとは到底言えない。


「答えは自分の中にある」


古い言い回しだが、その通りだと思う。
ただ1つ加えるならば、「その自分はいま何処にいる?」と問いたい。


それにしても、後々になって発言を否定するのは残念なことだ。むしろ情けない。
だが、否定とは完全消去ではなく、部分追加だと解釈してほしい。
1+1は2、というか。
2ー1でも残りは1じゃなく、不思議と3になっている、といえるような。
もちろん、それは単なる甘えや思いこみにすぎないのかもしれない。


では、おたくの話に戻そう。


世の中には、それと分かっていてもどうしようもない事があるのだと知った。
それは気持ちの問題だけでなく、行動においてもだ。
はっきり言って、俺はわがままだ。
やりたくない事はやらない。嫌なことは嫌。
自分では白黒はっきりしている方と認識しているが、
他人には、どっちつかずの「グレー」に映っているだろう。
それは多少意図的に表現(演出)している部分もある。


俺だって、悩んでいる、迷っているのだと分かってほしい。
「世の中を変えたい」「だが、変えるだけの能力はない」
「変えられないならば悩むだけ無駄だ」
だから悩まないというなら、それは弱者の論理だと思う。
もちろん、悩まない方が万事うまくいくものだ。
それもまた、先日、学んだことである。けど、悩んでしまう。
この原因を医学的症状に依存するなら話は早い。
遺伝的に異常があるなら、なんと簡単な解決策だろう。
「アイツは考え方がおかしい」
そう言ってしまうことは容易いことなのだ。


おたくを辞めるつもりはない。
皆さんがどういう風に自分を認知されているのかは分からないので、
ここはあえて「ハロプロのファン」と言葉を改めるとして、
俺は、ハロプロのファンを辞めるとは一言も言っていないことを強調する。
「本音ではなくても、宣言したことで俺達ファンを馬鹿にしている」
と認識されてしまったのなら、それは明らかに俺の判断ミスだ。
心の中では、もっと内面的な信頼を期待していたのだが、
それこそが所詮俺の甘さなのかもしれない。
口では「イヤ」と言っていても、いざというときには助けてくれる。
大げさな気持ちだが、そんな感じを抱いていた。


俺はときどき、というか、かなり多くの場面において、
周囲の空気を冷めさせてしまう、嫌な人間だ。
それを冷静と呼んでよいものか悩むところである。
基本的に、考えて話すタイプではないので、
勢いついて思ったことがそのまま口に出る危険性がある。
簡単に口から出るくらいだから、文章にするのはもっと容易だ。
それでもちゃんと文章の意味を考えてはいるとはいえ、
論理的でなかったり、前後で発言が変わってしまうことはよくある。
むしろ、書きながら考えて、とりあえずその文章は残しておき、
後の文章でそれを改善したり否定したりしている、という感じだろう。
そう、
これを書いている上では、これが俺にとっての真実だが、
この先、これが真実のままだとは間違っても言えない。
数学の公理みたく、変わりようのない事実を述べるとすれば、
「俺は後になって考え方を変えることを前提に発言している、思考している」と。
まったくもって、信頼性の乏しい意見ではないか。


一度信頼をなくしたものは、後から再び信頼されるのは難しい。
というより、ほぼ絶対的にありえない、と言えるかもしれない。
中学以来、疎遠になってしまったKさんとの関係を想起すれば、
それは疑いようのない事実だと言える。


何がいけなかったのか、といえば、
おそらくそれは俺がちゃんとその人の気持ちを考えなかったからだ。
相手の気持ちを考えなかった、結果を予測できなかった、俺の過ちである。
裏切ってしまったこと、傷つけてしまったことに対しては謝罪する。


・・・こうやって、話が横道に逸れるのも悪い癖だ。


祖母の葬式を通じて、そこに出席した人の立ち振る舞いを間近にした。
冷静な人、哀しむ人、何とも思っていない人、いろいろいたと思う。
驚いたことに普段は泣かないようにみえる叔父が、
喪主の挨拶の時に、涙を見せた。俺にとって最大の衝撃だった。
火葬の際に、棺に寄りすがる従姉妹。
最後まで泣かないのかと思いながら見ていた従兄弟もまた、出棺の際に涙を流した。
どうなんだろう? こういうことを考える余裕があるのだろうか、普通は?
正直、哀しみとは別に、
「なんでこんな面倒なことをするのだろうか?」と考えていたのだ。
葬儀社の人に、
「それではご親族の方から順にご焼香をあげてください」と言われたとき、
俺は「えっ? ちょっと待て。焼香なんてしたことないぞ」と笑いそうになった。
まったく手順が分からないので焦ったのだ。
とりあえず手を合わせるか。あとは見よう見まねでと思い、
先に焼香をあげる叔父や両親の動きを観察していた。
もうその時は、その事に集中していた気がする。
その一方で、「いや、そんなことを考えても仕方ないな」と思い直してもいた。
焼香を3回つまんだ後にお辞儀をするパターンが印象的だったので、
俺はそれを真似ることにした。
「どうして1回では駄目なのか」とも考え、
時間的都合を考慮して1回で済まそうかと思ったりもした。
はっきり言って、馬鹿である。
ただ、このように自分の方を馬鹿と感じるようになったのも、
そんなに過去の話ではないように思えるのだ。
記憶が改ざんされているのかもしれない。想い出が美化されるように。


出棺の際には、涙が溢れてきたが、
俺は「泣いちゃ駄目だ」と必死に抵抗した。なぜそう思ったのかは言わないでおこう。
火葬するときは、もう冷静に戻っていた。
骨になって出てきたのを見たときの方が哀しかった。
哀しいというか、初めて人骨を見たので、衝撃的だっただけだと思う。


本当は、途中で帰りたかった。
祖母ちゃんが死んだのは分かっているし、哀しいことだけど、
それよりも自分を優先したかった。死んだ人が生き返るわけでもない。
訃報を知らされた時、俺は職場にいたのだが、正直早退したくなかった。
理由は言うまでもないだろう、Fさんの側に居たかったからだ。
祖母ちゃんが死ぬことは分かっていたことだから、
今さら焦ったところで仕方ないし、
最後に死に顔をみておこうという気持ちもほとんどなかった。
実際、顔をみる機会はいつでもあった。
もちろん、それが為に早退しなければならなかったわけではなく、
遺体を自宅まで運んだり、葬儀場まで運んだりする時に男手が必要だった。
いや、そんな事ではない!!
祖母ちゃんが死んだから仕事どころではない、と思うのが普通なんだろう。
すぐに駆けつけてあげようと考えるのが優しさなんだろう。
・・・だが、俺にはそんな気持ちは少なかった。
心の何処かでは、どんなに無茶をしてもFさんの側にいたい、と思っていたのだ。
もし彼女が「いま仕事が忙しいから、定時まで残ってほしい」と言っていたら、
俺は間違いなくそのまま残っていた。たとえ親に言われても確実に帰らなかった。
それが俺の愚かな部分だ。


基本的に、自分のしたいことを優先してきたつもりだ。
けど、やっぱり周囲に合わせなければならない状況が多い。
「休みたいから」という理由で仕事を休むわけにはいかない。
いくら俺でも多少なりに責任感はある。
ただ、たとえそれがどんなに逼迫した状況であっても、
心のどこかでは自分を優先したい気持ちがあるから、
俺は迷い苦しむことになるのである。悪循環というより、心が弱いのだ俺は。


裏腹を考えてしまうことは、人間として普通で、
誰もがそうなのかもしれないと分かってはいるものの、
そこに執着するあまり自分を見失ってしまうのは、俺の悪い癖だ。
何より、こんな事は、普通、思っていても言葉にしないことかもしれない。
それなのに、俺が平気で書けるのも、やっぱり真剣ではないからだろう。


無駄が多い文章で、イヤになる。
なので、個々の想いは、後日、改めて個別に書くとしよう。
特に「おたく」の件に関しては、早急に書く必要があるような気がする。