石村舞波

今日が卒業公演である。




気持ちとしては全然「卒業おめでとう」ではない。
また、今までそんなに注目していなかったので「ありがとう」とも言えない。
唯一言える言葉は「お疲れ様」くらいなもの。
そして、いち個人として「これから頑張れよ」という応援。
Berryz工房ハロプロ)に所属しているうちは家族みたいな存在。
でも、その枠組を離れてしまえば、所詮は他人。
もちろん、今までの付き合いがあるので全く白紙の関係ではないが。
何が言いたいのかと言えば、
今までが今までなので石村の卒業には何の感情も沸いてこない。
都合良く涙を流すこともできない(できるはずもない)。


良くも悪くも言葉が見つかる状態にいる。
つまり、それだけ考える余地があるということ。
逆に言えば、何も考えがない状態に似ている。


人はそれを「無限の可能性」などと呼んだりする。
だが、それは針の狂った時計のようなもの。
どちらを指して良いのか分からず彷徨い続ける愚者。
だから誰かが示してあげなければいけない。正さなければいけない。
「可能性」なんて言葉はまやかし。
人は誰も「可能性」をもたない。あるのは、目の前に提示される課題だけ。
それを乗り越えるかどうかが重要なのだが、
いずれにしてもそこに「可能性」などというものは存在しない。


行動は結果を生み、結果は行動に従う。


SYURAは行動をしなかった。だから結果は生まれない。
予期できなかった結果のために行動もとれない。


けれども、
自分ではない誰かが行動し、結果を生むだろう。
それを「想像」した時、そこには「可能性」が顔を出す。


「可能性」とは「想像」に憧れるチルドレン。


舞波がこれから先、どんな人間になりたいのか。
舞波自身がその姿を想像できるならば、
きっとそこには可能性も付いてくるはずだろう。