何か、Fさんの時の繰り返しのような気がする。


・・・ごめん。やっぱり、無理だわ。
浮気者だろうと薄情者だろうと情けない男だろうと、オレは今、れいなの事はただのアイドルにしか思えない(今までは何だったのだ?)。どんなに可愛くても、どんなに愛しくても、今のオレは、れいなを忘れることを恐れていない。それが本心なんだろう、きっと。


オレが考えるアイドルの魅力は「抵抗もなく好きと言えること」である。
この「好き」には、個人対個人の愛情ではなく、素晴らしいものに触れた「感謝」と「感動」の意味が込められている。一方、一般社会において「好き」という言葉は、男女の恋愛感情として優先的に捉えられてしまうのだ。それゆえに同性同士の「好き」は奇異なものとして映り、親族間での「好き」は、時として(宗教的、道徳的な)罪悪として見なされる。オレはずっと前からそういう価値観が好きではなかった。
もちろん、社会のそういう在り方自体を否定しない。どちらがおかしいといえば、オレの方だと素直に認めることができる。でも、この国の人間は、いつから「感謝」という気持ちに疎くなったのだろう、と思うのだ。
感謝とは「ありがとう」の意味だけではない。日常に散らばった宝石のような感動でもある。それは普段は小さすぎて、当たり前すぎて意識に止まらないかもしれないが。
家族とか友達とか、それもまた大切だが、もっと小さな事にも「命」の法則が息づいていることに気付いてほしいと思う。

まるで「安倍なつみ」のような視点だな(笑)。
だからこそ、オレはなっちが好きなのだ。
時々、損得を超えて、何かに触れたくなるよ、ほんと。



アイドルは、そういった世間の煩わしさを抜けて、人間に対する「愛情」を抱くことができる。それは、批判的にみたら、都合の良い相手かもしれないが。自分本位の愛し方をする人でないかぎり、ファンの想いというのは、誰よりも強いものだと信じている。


では、今のオレはどうだろうか?
いまオレは彼女たちの何を見ているのだろう。


ワルキューレ・プロジェクトは失敗に終わった。
今はそれだけしか分からない。