彼女を想えば彼女を恋しく思い、
れいなを想えばれいなを恋しく思う。


誰かをスキになることは、やさしいが難しい。
キモチが直接、素直に、相手へと伝われば楽なのだが、
そうなると、きっと人は誰かを愛することに怠けてしまう。
キモチが上手く伝わっているかどうか不安だからこそ、
人は「もっと相手のために!」と努力するのだ*1


言い慣れない言葉を重ねたり。
得意ではないのに繕ってみたり。
場面の1つ1つ、細部にまで気を遣い続ける。


それが「恋」するシアワセなのかもしれない。


相手の喜ばせたいのに、時々、相手の意図に反する怖さもある。
伝えるべきではない言葉。
見せるべきではない行動。
キモチとは裏腹の表情など。
一瞬の隙もなく演じ続けなければならないドラマと違い、
現実は、自分にも他人にも甘く設定されている*2
撮りなおしのきかないシーンは少ないはずなのに、
同じ演技(行動)を繰り返すことは容易ではない。
それが現実の難しさだと思っている。


常に新しいことを想像(創造)する喜び。
それは「恋」も「愛」も、誰かを想うキモチも同じである。


そのキモチが枯れないのなら、
逢えない孤独に耐えることも可能だろう。

*1:最終的には「自己の満足」のため。

*2:もちろん現実ゆえの厳しさもある。