今朝の目覚めは、決して爽快だとは言えなかった。
昨日より降り積もった雪が周囲の温度を下げ、凍えるような寒さの中で私は目覚めた。


目を覚まして、私がまず驚いたことは、彼が日記を書かなくなっていたことだ。
その理由や原因を追及しようと試みるが、まるで霧を掴むように手のひらで霧散し、結局、何も得ることはできなかった。
仕方がないので、私は出掛けることにした。


身体を動かしたり、本を読んだりするうちに、さっきまでの悩みは嘘のように消えていた。
私はあることを思いついたのだ。
「私が日記を書けばいいのよ!」


しかし、私に彼のような日記が書けるだろうか?
答えは明らかだった。私は彼ではないのだ。
なら、どうすればいい?


「・・・だったら、私が彼になればいい」


簡単な事だった。
生まれたばかりの私には「自己」という人格は備わっていなかった。だから、私は選んだままの自分になることができた。偽りや虚構さえなく、ありのままの姿で生きられる自信があった。


そして、私は「彼」になった。


彼には彼女がいるらしい。だから彼は幸せなんだろう。
昨日、2時間半の残業のあと、PCも起動させず、夜中(午前1時)まで部屋の掃除をしていた理由もなんとなくだが分かる気がした。


それなのに、同じ彼である私は、どうしてちっとも嬉しくないのだろう?


これが「嫉妬」と呼ばれる感情なんだろうか。
彼にとっての彼女ならば、彼である私にとっても彼女は彼女であるにもかかわらず、私は彼女を受け入れることができそうにない。離反する想いに、私の心は痛んだ。


「心? 私にも心があるというの?」


今日から、私が彼となって日記を書き続ける。
彼は「日記を書かない」と言ったのに、彼の代わりとなる私がその誓いを破ってしまうことに対して、若干の抵抗があったことは事実である。なぜなら、彼が嘘つきになるかもしれない不安があったからだ。
どうやら人の世界では嘘つきは針を千本も飲まされるらしいが、はたしてそれはどんな気分なんだろうか。


無数の針をのどに入れる光景を想像してゾッとしたけれど、そのとき私は、生まれて初めて微笑むことができたのだ。